「リーダーシップ」は素養ではなく、鍛錬できるスキル(参考書籍:採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの)

すべての人に求められるリーダーシップというスキル

マッキンゼーの採用マネジャーを長年勤めた伊賀泰代さんの『採用基準』を読むと、リーダーシップを持つことの重要性と、それ自体が日本という国の成長のボトルネックになっているということに気づきます。

伊賀さんいわく、リーダーシップとはマネジメント層や管理職などのいわゆる「肩書としてのリーダー」だけではなく、すべての人に求められるスキルだと定義してます。

僕自身も日々リーダー業務を実行する中で最もフラストレーションとなるのが、一緒にはたらく人の「他責な思考」や「主体性のない言動」です。その根源になるのが、リーダーシップというスキルに対する捉え方だとこの本を通じて改めて感じました。

 

なぜリーダーシップが求められるのか?

これに対しては極めてシンプルな解があるので引用させていただきます。

自分の言動を変えるのは自分一人でできるけれど、自分以外の人の言動は、リーダーシップなくしては変えられないのです。

 世の中の問題を自分自身だけで解決するのは現実的ではないので、組織という単位で様々な課題解決に取り組んでいると解釈できます。『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』においても、そもそもサピエンスは複数人数で協力することができたので食物連鎖の頂点に君臨することができたと分析しています。人間は、複数人数で協力すること自体が特徴的な生物であり、強みだということです。

その強みを最大限活かすのは、いわゆる肩書としてのリーダーがリーダーシップを発揮することはもちろん、それを取り巻くメンバーもリーダーシップを持っていることが重要とされます。

 

なぜすべての人に求められるのか?

1.次世代のリーダー候補を育てるため

組織形態にもよるかとは思いますが、特定のリーダーが同じ役割・役職に存在し続けることは現実的ではありません。特に一般企業を考えると、リーダーのキャリアもありますし、新陳代謝を促すという目的で一般的には3〜5年単位では変化していくものと考えられます。

その際に、次世代のリーダーが育成されていない状況だと組織の劣化は目に見えてます。メンバーのうちからリーダーシップを発揮し、代替わりの際にもマイナスのインパクトを与えないように準備することが必要になります。

しかし、日本ではこの順番が逆になっているケースが多い。役職についてからリーダーシップを学ぶという順序になっているということです。欧米諸国では、リーダーシップを発揮した人物を、リーダーシップがあるとなんらかの仕事で認められた人物をリーダーに抜擢するケースが多いようです。

外資系企業にも当然、役職は存在します。しかしリーダーシップは役職にかかわらず全員に求められます。また特定の役職につくためには、就任前に、それに必要なレベルのリーダーシップが発揮できることを、実績をもって証明する必要があります。この順番が重要です。「役職が先でリーダーシップが後」なのではなく、必要なリーダーシップを持っていることが証明されてはじめて役職に就くのです。

今一度、メンバーの状態で発揮すべきリーダーシップとは何かを各組織で考える必要がありそうです。 

2.指示待ちのメンバーを減らすため

「リーダー一人が目標達成のためにあれこれ思考する組織」と「リーダーだけではなくメンバーもリーダーと同じくらい思考する組織」では、後者のほうが成果を出しやすい組織であるということは議論の余地もないかと思います。双方の意見しあい建設的な議論ができるカルチャーもセットで必要にはなりますが、それが機能するととても強い組織になるでしょう。

前者は、目標の設計においても、問題が起こった際においてもリーダーに最終決定を仰ぐ「指示待ち」のメンバーを増やします。本来、事業のボトルネックの解消や、未来を見据えた戦略立案などに思考をすべきリーダーが個別の事象や問題に対してリソースを割くという行為は組織の成長を停滞させるドライバーになります。

メンバーがリーダーの視点にたって思考できる組織は、リーダーがより重要なことに時間を費やすことできる。メンバーは本来、そのことにコミットしなければならないないのだと思います。

一人だけがリーダーというチームでは、それ以外のフォロワーは次のいずれかの状況に落ち込んでしまうからです。
一つは、「リーダーの後を素直についていくフォロアーになること」、もう一つは「チーム全体を率いることは自分の役割ではないと割り切り、個人として、できる限り高い価値を生み出すことに専念すること」です。
 
 
3.柔軟に変化対応できる組織であるため

仮にリーダーの目標設計能力が秀逸で、メンバー個別の目標を達成することが組織の目標達成にキレイに紐付いているとしても、メンバーレベルでリーダーシップを持つことは求められます。それは、「柔軟に変化対応ができる組織」でいるために必要な要件になります。

特定の組織において、メンバーがリーダーの視点で思考ができない状態だと、「あの人は言っていることがいつも変わる」というリーダーに対するネガディブな印象が多数派になります。リーダーはいつも孤独だといわれる主因な気もしますが、メンバーと視点があわないということに端を発しています。

リーダーに対する建設的ではない批判の大半は、この「成果にコミットしていない人たち」によってなされます。リーダーが成し遂げたいと考えていること、成し遂げなければならないと考えていることに対して、賛成できな人、自分には関係がないと考える人にとっては、リーダーとは突っ込みどころ満載の強権者です。自分勝手な命令者にしか見えません。

 

リーダーシップを学ぶための基本動作

では、どうすればリーダーシップを身につけることができるのか。本書では、下記の4動作を基本動作として推奨しております。

1)バリューを出す

今、自分のやっている仕事は、どのような価値を生むのかということを、強く意識する

2)ポジションをとる

自分の立ち位置をはっきりさせ、自分の意見を明確に述べる

3)自分の仕事のリーダーは自分

自分の仕事に関しては自分がリーダーであり、パートナーやマネジャーを含めた関係者をどう使って成果を最大化するのか、を考える

4)ホワイトボードの前に立つ

会議の参加者が発する意見を全体像の中で捉え、議論を整理して議論のポイントを明確にしたり、膠着した議論を前に薦めるために視点を転換したりする

 

どれも職場ではイメージしやすいことです。改めて、誰かのリーダーであるという自分と、誰かのめんばーであるという自分を想像してみて、もっとこうすべきだなと気づきになったのですが、本書を読んで僕が気になったのが、これって職場だけのことだっけ?という観点です。

仕事は複数人が頭を使いますし、人生においても時間というリソースを費やすものなので、上記のような整理は非常にしやすい。一方で、プライベートでは結構手を抜いているなと気づきました。

例えば、友人の結婚式の余興の準備、同窓会の企画などのわかりやすいところはもちろん、一般的には気が向かないようなマンションの理事会や、家庭内の家事の分担などでも主体的に取り組み、仕事で身につけたリーダーシップを腐らせないようにしたいと思ってます。

リーダーシップは基本的に姿勢やスタンスが大部分を締めます。恥ずかしい思いをしたくない、めんどくさいことは他人がやってほしいというネガティブなスタンスを捨てて、主体的に、能動的に取り組む姿勢こそが、仕事を動かす人間になると考え、プライベートの場面でもそのスタンスを変えること無く生きる必要がありそうです。(完)

 

◆本ブログで紹介した書籍

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