本当は良いモノなのに、マイナスに捉えてしまう脳の仕組みに要注意(参考書籍:人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている)

「認知的不協和理論」とは

「認知的不協和」という心理学の用語を聞いたことがありますか?

僕は人気ブロガーのふろむださんの著書「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」を通して知ったのですが、これがとても面白かったので紹介させていただきます。

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認知的不協和理論とは何か

フェスティンガーの認知的不協和理論とは - コトバンクから下記の通り引用させていただきます。

・米心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された考え方。
認知的不協和が起きると不協和を低減する行動が起きるということ。
・矛盾した2つの認知がある場合、その不協和を解消するために、比較的変えやすいほうの認知を変えて、協和している状態にしようとすること。

人間の脳は、とにかくシンプルで矛盾のないものしか認識したくないらしく、何か同じ事象に対して矛盾が生じる場合、無理にでも片方の認識を変えて「協和」させる状態にもっていこうという仕組みです。これが進化の過程でなぜ必要だったのかは深く考えてないですが、この仕組みがあらゆるシーンに影響を与えていると気付きます。

例えば
  • 普通の家に育った人がめちゃめちゃ金持ちの友達を、「性格が悪い」と思うこと
  • 全然本を読まない人が、「本を読んでも無駄」と思うこと
  • 遅刻を頻繁にする人が、「日本人はイタリア人と比べて時間を守りすぎだ」と思うこと

など、本来は「プラスの価値」に属する物事に対して、自分がそれを保有していない場合、つまり「真実」vs「現実」に矛盾が生じた場合にどちらかを修正するという仕組みのことをさします。

僕自身も、無意識のうちにやってしまっています。特に、自分が保有していない「プラスの価値」に賛否両論がある場合、「マイナスの価値」の情報に飛びつきがちだと思います。少なくとも、あまり関心のない領域ではそういった無意識の選択をしている気がします。

認知的不協和に基づく意見に疑問を持つ

そう考えると、この仕組みがあるから世の中の「本当はプラスの価値があるもの」でも「マイナスの価値」としてとらえている情報が溢れかえっているのではないかと思います。これがインターネットが存在しないような前近代までの社会では世の中でに出ておらず、家族やコミニティ単位での愚痴レベルだったかもしれませんが、今はそれがネットを通じて、まるでマジョリティのような態度でオープンになっている。

情報の発信者が「無意識に」本当はプラスの価値があるものを認知的不協和の解消のためにマイナスのものとして発信した場合、仮に情報の受け手が情報の発信者と同じ立場(すなわち、そのプラスの価値を保有していない立場)だった場合は、脳が喜ぶ情報としてとらえられてしまう。

オッサンにならないために

これを延々繰り返すと、山口周さんがいう「オッサン」に着実に近づいていくと思います。オッサンの定義を振り返るとこうでした。

・古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する

・過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない

・階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る

・よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

「劣化するオッサン社会の処方箋」を読んで:僕たちにはもう楽なステージはない - 読了.com

これらのオッサンは新しい体験や目下の者、またはよそ者が保有している「プラスの価値」を持っていないからこそ、こういった排他的な態度をとるのだと解釈できます。これは、「認知的不協和」の解消といった自然の摂理である本能の奴隷になっているということ。無意識とはそのような怖さを持っているのだと思います。

著者のふろむださんはそういった状況をわかりすく下記にように表現している。

現実世界の敗者が、自分の脳内世界で価値評価を捏造し、脳内世界で密かに復習を遂げるんだ。しかも、本人はそれをやっている自覚がない。

 

プラスの価値のあるものを冷静に見極める

とはいえ、全ての事象に対する全ての反応を見極めるのは不可能なこと。それに、先ほど進化の過程でなぜこの仕組みが必要だったからはわからんと書きましたが、少し考えると人間には「あまりにも情報が多すぎる」ということが前提にあると思います。情報がありすぎるから、なるべく一つずつの情報をシンプルにしなければならない。情報がありすぎるから、矛盾なく整理しておかなければならない。

「これから変えられるもの」の価値

そう考えると、なんでもかんでも疑いを持つのではなく、自分が向き合わなければならないテーマに関しては注意深くならなければならないということかと。

例えば、病気や事故などによりどうしようも変えがたい不可逆の事例が起きた場合や、すでに変えることのできない過去の出来事に関する見解などにおいては、無理に無意識を解消することで悩みが増大する可能性があります。

そういったものではなく、「これから変えられるもの」に対する情報に対しては疑いを持たなければならない。これから変えられるものであるのに、無意識下で否定したり、情報を遮断することは、自分の人生にとって一つづつ「機会」を失うことにつながり、それが続くととても大きな差になります。

そして、そのテーマに関しては「プラスの価値があるもの」を正しくそのまま認識し続ける、否定しない、マイナスのものと捉えようとする自分の脳みそを注意深く観察するという姿勢が必要なんだと。まさにそのことが表現されているので、最後に本から引用させていただきます。

くれぐれも、強い、美しい、豊か、健康、賢い、などの現実世界におけるプラスの価値自体を、自分の脳内で否定したりしないように、注意深く自分の無意識を見張る。「プラスの価値はすべて利用資源であって、それを否定すると損をする」と自分に言い聞かせる。

 

もう少しライトな本かと思ってましたが、アカデミックな心理学に基づく現代の指南書になっていて良い本に巡り会えました。(完)

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

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