歴史や哲学は「事実」だけではなく「思考プロセス」を学ぶもの(参考書籍:サピエンス全史)
歴史や哲学は挫折しやすいジャンル
先日の大型連休を利用して、普段は余裕がなくて手をつけない「歴史」や「哲学」関係の本を読みました。
そもそも、昔からこのジャンルは好きでしたが、学習して何かを得る(アウトプット目的)、というよりは学習そのものが好奇心が満たされるので好きだ(インプット目的)ということに近い状態でした。
世の中には、同じように感じている人が多いと思っていて、実際に会社の人間にゴールデンウィーク明けに歴史の本を読んだと伝えたところ、「何かに活かせるものではないからあまり読まなんですよね」という返答をもらったり。
最近では、「仕事に活きる○○」という形で、それを解消するための本も多く出版されているかと思いますが、それだけ世の中に「歴史や哲学は仕事に活きない」と思われているという裏返しかと思います。
ならば、趣味として「歴史好き」「哲学好き」でない限り学ぶ必要がないのかというと、そうではなさそうです。
歴史や哲学の学習が継続できない3つの壁
そもそも、これらの領域は学習を頓挫しやすい領域です。いざ学びを初めて見ると「つまらない」という状態に陥りやすい。ここでいうつまらないというのは「好奇心が維持できない・維持するのが難しい」と言い換えることができますが、それには3つ理由があります。
「答え」が明確ではない
1つ目は、「答え」が明確ではないことが多いからです。例えば、戦国時代の武将同士の争い1つをとってみても、争いの原因や意図、戦略から結果まで複数の解釈をすることができます。これは他の学問と比べると、結局なんなの?という状態に陥りやすい。
理解が難しい
2つ目は、「難しい」からです。歴史や哲学というのは、基本的にストーリーがセットではないと理解することが難しいです。なぜその事実が歴史的に重要なのか、なぜその見解が新しいのか、みたいな観点は時系列的な文脈を理解していないと完全に理解することはできません。しかし、それを時系列として認識するまでに膨大な時間がかかります。
間違ってたりする
3つ目は、学んだことが「間違ってたりする」ことです。地球が丸いことはいまでこそテクノロジーの力で我々現代人からしたら当たり前ですが、数百年前まではどんなに聡明な人間でも丸い、丸くない、みたいな話を大真面目に考えていた。地球は丸くないと言っていた人が言った人、つまり間違ったことを声高に唱えていた人を、僕たちは大真面目に「すごい」と感じることが難しい。
これらの要因で挫折したり飽きたりしているのかなぁと思ったわけですが、それぞれに打ち手を打つというよりは、学ぶ意義の考え方を変えるといいのではと感じてます。
サピエンス全史を通して考えてみる
ここでは、数年前から爆発的に売れている『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』を例に、歴史や哲学を学ぶ意義を考えてみたいと思います。(少しずれますが、サピエンス全史は、久々に「もっと時間がほしい・・!」と心から思える本となりました。1ページ1ページを読み進めるのが楽しみで、どうしても妄想に走ったり、きちんと理解するための振り返りをしたりでめちゃくちゃ読むのに時間がかかってます。※まだ上巻の前半)
思考プロセスが見えやすい
この本は基本的に下記のサイクルで進んでいきます(歴史学自体がそうなのかもしれませんが)。
A)問いに対するいくつかの仮説
B)現時点で明らかになっている事実とそうではないもの
C)仮説の中での有力だと判断できる考察(思考プロセス)
D)その考察から生まれる疑問・問い → A)に戻る
構成自体がそうなっているので読み進めやすいのですが、読者としてはC)の部分で満足してしまうことが多い。「おー、面白いな」「なるほどなぁ、勉強になった」と一旦思考が終わってしまう。しかし、大事なのはそこからどんなことが言えるのか?なぜそんなことになったのか?という疑問に展開されることです。そこをどんどん深ぼっていくことで、また違った視点に繋がっていく、ということで学びの広さが全然違います。
例えば、本書では、ホモ・サピエンスが生態系の頂点に等たるするまでのプロセスとして、最初の重大な一歩だったのが、「火」を手なずけたことだと言います。(A)
それは、研究によって、○○年前から明らかに人類が火を使い始めたことがわかっていることから、比較的根拠が明確なこと(B)なんだと思いますが、そこから「火」を使うことでどういた変化があったのかを考察していきます。
それに対する仮説は大きくは主に2つに分けられます。
1)恐ろしい武器と手に入れた:個別の戦いだけではなく、森を焼き払ったりするなど限りなく大きな武器となる
2)調理が可能になった:食料となる対象が圧倒的に増えた、病原菌を殺せるようになった、食事の時間が短くなった
そして、これらの考察がさらに展開していきます。例えば、調理が可能になったことで、人類は「小さな歯」と「短い腸」で事足りるようになりました。この考察だけ聞いても、「そうなんだ!すごい」となるのですが、さらに、これによって人類は「脳が大きくなったのではないか?」という仮説に展開します。
ロジックとしては、人間が体内で消費するエネルギーの中でも、特に「脳みそ」と「腸」がある→「腸」の負担が減ることで「脳みそ」にエネルギーを回せるようになった→脳が巨大化した、ということです。
本当は、そのような疑問や仮説を読者自体がもちながら読み進めることが学びを最大化するポイントだと考えますが、こう考えるんだぜ、という例をどんどん明示してくれる。それが正しいか間違いかではなく、こういうパターンもあるんだぜ、という広がりを見せてくれます。
そして何よりも、筆者や研究者ですら答えが出ているわけではないので、最終的なアウトプット=結論だけ披露するということにはならない。ゆえに、筆者も仮説や思考プロセスを存分に披露するしかない。そのプロセスが大いに学びがあります。
「ここからそう展開するんだ・・」とか、「お、同じような思考プロセスだな」、とかも感じることができるので、読書のレベルも上がっていくような気がします。(もちろん、事実をそのまま列挙しているような教科書的な本はそれに該当しません)
歴史や哲学を学ぶ2つの意義
まとめると
1.未知のことに対して「疑問」を持つ姿勢を学ぶ
2.未知のことを考えるプロセスを学ぶ
ことができるのが、歴史や哲学を学ぶ意義なのかと思います。
そして、この姿勢をもって知識が蓄積されていくと冒頭で述べた、はまるまでの障壁も少しずつクリアされていきます。知識が増えれば増えるほど、点が線となり、線がストーリーとなって、面白さが増していくのだと思います。
とはいえ、日常に忙殺されていると、こういった別ジャンルに手をつけるのはなかなかに難しい。個人的には連休や土日には、意識的に触れてみるということをテーマにしてみようと考えています(完)。
◆本ブログで紹介した書籍