子供が「決める力」を伸ばすための2つの取組み(参考書籍:戦略子育て 楽しく未来を生き抜く「3つの力」の伸ばし方)

「決める力」が求められる時代

先日我が家に新しい家族が一人増え、新しい生活が始まりました。

それを言い訳に読書量も圧倒的に減少していたんですが、そろそろ取り戻さなきゃなという思いでブログを更新しております。本日は、個人的にタイムリーな「子育て」に関する本を取り上げたいと思います。

戦略子育て 楽しく未来を生き抜く「3つの力」の伸ばし方

戦略子育て 楽しく未来を生き抜く「3つの力」の伸ばし方

 

 

まず、どんな子供に育ってほしいか?を考えることは以下の2つの作業に分けられます。

①これからの時代にはどんな価値観や能力が求められるか?または必要か?

②それを身につけるためにはどんな経験や思考が必要か?

まず、親である僕たち自身がこれらに対する答えを持っていなくてはなりません。子育てを考えることは、そのまま自分自身の成長を考えることをほとんど一緒なんだと思います。仕事ができる人が子育てに没頭する理由も、常に自分自身にフィードバックがかかる面白さがその背景にある気がします。

なので、繰り返しになりますが、親として「これからの時代がどんな時代になるか」を考え続け、「それに必要な能力や価値観はなにか?」といことを、まず自身で思考・経験を重ね続けることが最も大事なのかと。

この本ではその一つの見解として、これからの時代には「試行錯誤力」が求められるとし、その要素を下記の3つに定義しています。

・発想力  :常識に囚われず新しい発見をし、それを探求できる力

・決める力 :選択肢を拡げ絞るために、調べて考えることができる力

・生きる力 :失敗にめげず楽しく前に進み続けることができる力

ここでは、ビジネスや私生活で特に必要な「決める力」について深ぼっていきます。

 

「決める力」がなぜ重要か

「決める力」が求められる背景としては、VUCA(Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ))という言葉に代表されるように、現代が「答えがない時代」であることが挙げられます。それ故に、「事前にしっかり計画をして、それを着実に実行する」というやり方ではなく、実行して改善する「トライ&エラー」の方法論が取られる時代です。「決めてやって変える(決める)」のスパンが短いため、意思決定の総量が増えます。

以前の日本社会では「決める」という作業は組織のトップやリーダーにのみ求められる能力でしたが、これからは意思決定単位が細分化され個人毎に必要な時代になります。組織のトップやリーダーが必ずしも「正解」の選択肢を選べるわけではないからです。

逆に「決められない」人材は「誰かが決めたことをひたすら実行する人」になるため、(それはそれで必要な人材かもしれませんが)仕事を楽しむということから遠ざかってしまいます。

 

「決める力」を育てる上で必要な態度

世の中には自分で決めることを避けたがる人が存在します。その多くの場合がリスクを避けたいという欲求に起因します。先日audibleで聞いたメンタリストDaiGoさんの「後悔しない超選択術」では意思決定のスタイルは5つに分類されると紹介されてました。

・合理的意思決定 :論理的に選択する

・直感的意思決定 :データよりも感覚を重視する

・依存的意思決定 :他人の意見を重視する

・回避的意思決定 :結論先延ばしにする

・自発的意思決定 :考えるより結論を急ぐ

後悔しない超選択術

後悔しない超選択術

 

 

これらのうち「依存的」「回避的」な思考の癖がある人は決めること自体に対する態度を変容させなくてはなりません。これらは幼い頃から繰り返し身につけてきた思考の癖です。もしかしたら何らかのトラウマや親とのコミュニケーションで癖がついたのかもしれません。

子育てという観点で注意しなければならないのは、子供のピュアな意思決定に対して親が「でも・・しなさい」といったコミュニケーションで、意思決定スタイルを強要することにもなりかねないということです。

VUCAの時代においては、成功は数多くの失敗の上に成り立ちます。1つの意思決定による挑戦の結果が失敗だったとしても、あくまでも成功までのプロセスに過ぎません。 そう考えると、賞賛されるべき行為は、「成功という結果」ではなく、自分で決めた実行したという「挑戦」自体にあります。親がこの観点の大切さを見失い、結果ばかり に反応してしまうと、失敗を恐れる人になってしまいます。挑戦を称賛し、挑戦を推奨し続けられる親であることが最も大事なのかもしれません。(そしてそれを自身が一番体現しているのがベスト)

 

「決める力」を伸ばすための2つの取組み

戦略子育て 楽しく未来を生き抜く「3つの力」の伸ばし方』では、「決める力」を伸ばすために興味深い取り組みがいくるか紹介されてましたので、特に面白いと思ったものをピックアップしてみます。

(1)遊びを与えず子どもたちをヒマにすること

子供と遊びは切っても切れない関係かと思いますが、そんな遊びに関するメソッドです。今の時代は、子供が自発的に遊びを考えるのではなく、スマホやゲームなど大人側が準備してしまう遊びがとにかく山のようにあります。つまり、「何をして遊ぶか?」ということを考えて決める作業は奪われていると解釈することもできます。

何をして遊ぶかを決める能力

少し話は逸れますが、大人になると暇な時間によって心や体の健康を乱す人が続出します。暴飲暴食をしてしまう、余計なことを考え続けて心を病んでしまう、他者批判ばかりしてしまう、といった現代病は主に「暇だから」です。暇と向き合って、正しくポジティブなエネルギーに変えられることを遊ぶを通して実現する必要がある。「遊ぶ」といのは想像以上に難しい能力なんだと思います。

遊びの天才といえば、お笑い芸人の松本人志さんがすぐに思い浮かびます。日曜の深夜に放送される「ダウンダウンのガキの使い」は長寿番組ですが、様々な遊びを作っては実行しての繰り返しです。あれを何十年も繰り返しているのですから只事ではないのですが、そんな遊ぶ力はおそらく子供時代に身に着けたものではないかと思います。

暇と制約が遊びを考える能力を育てる

松本人志さんの子供時代にあったものは、「制約」です。金銭的にもそうですが、スマホや娯楽施設などの遊びの選択肢が今と比較すると極めて少ない時代です。

そんな「暇×制約」といった環境が、考える力を育て、何に時間を使うかを「決める力」を育てたのではないかと想像します。

・遊びとは自由な独立した行動である。強制されるものではなく、何かのために行うものでもない。ゆえにその第一条件は、ヒトにヒマ(=自由な時間)があることである。

・遊びの根源は、面白さ、である。面白さ自体は定義できない。ただし、面白くあるために遊びには適度なルール(=制約)が存在する。

  

(2)「脱ワンワード」なコミュニケーション

「脱ワンワード」とは何かは後述いたしますが、その前に「決める力」を身につける上でのコミュニケーション能力の重要性について、本から引用させていただきます。

決める力には2種類あります。個人で決める力とみんなで決める力です。第1章で述べたように、これから求められることは小チームが高速で試行錯誤を繰り返すこと。そのときに必要なのは、素早くみんなで決める力なのです。

みんなで決めるためには、4つのステップが必要です。①自分で考える、②相手に伝える、③相手から聴く、④話し合う、の4つです。つまり、②伝えるや③聴くといった「コミュニケーション」は、決める力の重要な一部なのです。

 

ハイコンテクストな日本の家庭

コミュニケーションの中で、僕自身も苦労したことが②相手に伝える、というステップです。特に日本人にとっては、訓練されづらい能力なのかもしれません。

日本はハイコンテクストな文化だと言われます。(※ハイコンテクスト:ハイコンテクストとは、コミュニケーションや意思疎通を図るときに、前提となる文脈(言語や価値観、考え方など)が非常に近い状態のこと。民族性、経済力、文化度などが近い人が集まっている状態。)

その要因として、日本が世界でも稀な単一民族であるということだけではなく、③聴く力が高いことにも注目したいです。聴く力が高いので伝えることをサボるわけです。察する力が強いので、言外のことを伝えることが冗長だったり藪蛇になったりします。生活の場においては、前提や背景を削除して、短い文章で伝えることのメリットの方が多いのです。

しかし、ビジネスや難しい課題に向き合っている場合はそれでは通用しません。論理的かつストーリー(前提や背景)を駆使したアウトプットが必要不可欠になります。主語や前提が抜けていたりするコミュニケーションでは伝わりません。厄介なのは、①自分で考える工程が秀逸にもかかわらず、②伝える工程が下手くそなので、受け手に勘違いされてしまうケースです。これにより考える力自体にも自信をなくし、決める力が劣化していきます。そうならないためにも、幼い頃から伝える訓練をすることが大切です。

脱ワンワードとは?

「脱ワンワード」とは、何かをお願いする時に「お水!」とか「来週!」、「嫌だ!」などのコミュニケーションのことです。家族間ではこれで成り立つことが多いですが、家族外では難しい。しかし、家族間コミュニケーションが大きく割合を占める幼少期においては、家族のなかで伝える技術を身につけなくてはなりません。

そのためには、まず親自身がローコンテクストなコミュニケーションを取ることが求められます。その上で、「察しの悪い親になること」。これは仕事でも取り入れている方もいるかと思いますが、わかっているけどわけっていないフリをするということ。それにより、子供は伝える努力をします。

加えて、「他の大人とコミュニケーションをとる頻度を増やす」、という方法もシンプルで良さそうです。よく仕事でもマネジメントをしているメンバーに対して、「僕ではなくて、●●さんがいると思って話してみてください」と言ったりしますが、この意図ととしては前提や背景を理解していない人に対しても伝わるようなアウトプットをしていただくことです。伝え手自身がきちんとつながりを理解しているかのチェックにもなるのですが、これはそのまま子育てにも使えそうだなと。一つの経験を伝えるにも、なんでもわかっている親に伝えるのと、友達の親に伝えるのでは子供も自然と伝え方を変えるはずです。

 

長くなってしまいましたが、親としては、①決める力を奪う機会の排除と、②決める力を身につける機会の提供、しかできないと思いますので、上記のような方法論を取り入れつつ、しっかり子供の成長に向き合っていきます。(完)

 

◆ 本ブログで紹介した書籍

戦略子育て 楽しく未来を生き抜く「3つの力」の伸ばし方

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後悔しない超選択術

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個人の「働き方」を企業経営に置き換えて考えてみる(参考書籍:働き方の損益分岐点)

キャリア選択は「自己内利益の最大化」を思考すべき

個人のキャリアを考えるときに、多くの人が重要視するのは、「給与」や「条件」などのハード面と「やりがい」「心理的安全性」などのソフト面が挙げられます。これらをそれぞれバラバラの要素だと考えてしまうと、「この会社にはAはあるけどBはない。BよりAの方が優先順位が高いからこの会社に決めよう」という各論の要素で意思決定をしてしまいがちです。

要素分解をすることで見えてくることもありますが、大事なのは最終的にこれらをつなげて考えることです。

そのようにつなげて考えるために有用なのが、「自己内利益の最大化」という考え方です。

 

自己内利益とは

資本主義社会における企業経営において、どの企業にも共通しているのが「利益の最大化」。利益の考え方は至ってシンプルで、

利益 = 売上 ー 費用

になります。

あらゆる施策や戦略は時間軸の差分こそあれ、①売上を伸ばす、か②費用を減らす、に集約されます。実際に①の施策が②にマイナスインパクトを与えたりとするため、それぞれを分けて思考することは難しいですが、考え方としては上記になります。

「自己内利益の最大化」はこれを個人のキャリアに応用して考えるという方法で、それぞれを置き換えると次の通りです。

●売上=年収・昇進から得られる満足感

●費用=必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛) 

※詳しくは木暮太一さんが書かれている下記の書籍をご参考ください。

人生格差はこれで決まる 働き方の損益分岐点 (講談社+α文庫)

 

 つまり、自己内利益を最大化するためには、

①満足感を変えずに、必要経費をさげる方法
②必要経費を変えずに、満足感をあげる方法

の2つを追求する必要があると置き換えることができます。

 

年収が上がっても「自己内利益」は増えない?

ここで注意しなければならないのは、企業経営と同じように、売上=年収をひたらすら追求するだけでは、自己内利益は増えていかないということです。

例えば、年収が100万円増えても、企業から任せられる仕事が増えて残業が増え、プライベートの時間が削られているのだとすれば、肉体的・時間的労力だけではなく、リフレッシュの時間がなくなって精神的苦痛が蓄積し続けるかもしれません。

こう考えると、実は年収があがっているにもかかわらず、自己内利益は赤字に向かっている可能性も考えられます。

 

自分自身に置き換えて考えてみても、年収が上がっているにもかかわらず「こんなもんか」と思ってしまうこともあり、それは頭の中で必要経費の増加、たとえばマネジメント範囲の広がりによる労力の増加、メンバーそれぞれの不満や喜びに伴奏しなければならないという心理的負荷、などを想像して「妥当だ」と考えているからだと思います。

この考え方はそういったなんとなくのキャリアに対する考え方を『資本論』に基づく論理で補強してくれるものになります。

では、それぞれどういった方法があるのかを見ていきたいと思います。

方法論①必要経費を変えずに、満足感をあげる方法

「労働力の価値」とは?

これを理解するには、まず『資本論』に基づく、「価値」の考え方を理解する必要があります。曰く、価値には「価値」と「使用価値」の2種類があり、それぞれ意味合いが異なります。

「使用価値」:使ってみて意味がある、何かの役に立つ
「価値」:それを作るのにどれくらい手間がかかったかで決まる

 一般的に僕たちがイメージする価値は「使用価値」の方かと思いますが、世の中の商品の値段や、僕たちの労働力の値段を決めているのは後者の「価値」の方です。つまり、コンビニのおにぎりの値段は、米や鮭などの原材料の値段に加え、それを握るのに使った「労働力=手間」で計算されるということです。役に立つレベルで評価されているわけではありません。

では「労働力」はどのように計算されるかというと、「労働力の再生産に必要なものの価値の合計」で決まります。僕たちは、明日また働くのに、ご飯を食べ無くてはならないし、ゆっくり家で休まないと行けない。たまには、飲みに行ってストレスを解消しなければならないし、子供がいるなら子育て・教育費用も負担しなければならない。こういった費用の合計が「労働力の価値」を決めているというのが『資本論』の考え方です。

 

「スキル習得費」も労働力の価値とみなされる

ならば、どの職種でも同じ給与になるのでは?とパッと疑問が浮かびますが、その差分も上記で説明ができます。例えば、経営層や外資営業マンなどもそれ相応のプレッシャーや責任がかかるため、移動にはタクシーを、ストレス解消にはラグジュアリーサービスを、という形で必要経費が増していくということです。これに加えて、その職種や職位の「需要と供給の関係」がプラスアルファ要素になります。

ここで大事なポイントは特別な資格や技能が求められる仕事には、

食費、家賃、洋服代、ストレス発散のための飲み代などの他に、スキル習得費が「労働力の価値」として考慮される

ということです。スキル習得をしたものは、その分労働力の価値が高い。だから年収も高くなるという理屈です。実際、医者や弁護士、公認会計士などのスキル習得にたくさんの時間を費やした職種などは一般的に年収が高い傾向にあります。

 

これと対比される年収の上げ方というのが

・とにかく労働時間を消費する(残業、土日も使った副業)

・毎年同じ業務に向き合って気合や根性などで営業成績を上げる

などの選択肢になります。

 

そのようなやり方だと、瞬間的には年収が上がるかもしれないが、常に同じくらいの時間を費やしたり、努力をしなければならない。

そうではなくて、未来にも通用するスキルを手に入れベースを上げるという考え方=労働力を「消費」するのではなく「投資」するという考え方が必要になります。

例えば、先程の医師免許などはわかりやすい例ですがビジネスマンでも営業のプレイヤーとして活躍できたなら、営業マネジャーとして再現性のある成果の出し方を思考する、マーケティングも思考できるポジションを得て営業×マーケティングの知識を身につける、などが考えられるかと思います。これらのキーワードは「再現性」です。

今日学んだことを、未来にも使用できるかどうか。この学びを得るかどうかが働き方のベースを作れるか、今の成果をだすためだけの力のかけ方なのか、を分けるポイントになります。

 

方法論②満足感を変えずに、必要経費をさげる方法

 一方で、年収を変えなくても、コスト=必要経費を下げるという方法論もあります。

それは、「世間相場よりもストレスを感じない仕事を選ぶ」という方法です。先程記載したように給与とは、労働力の必要経費=明日また働くために必要な経費、で決まっていますが、これの大事なポイントは「※社会一般的にかかる平均で決まる」という注釈がつくことです。

つまり、一般的にはこの仕事はこのくらいプレッシャーがかかるから、このくらい解消するのに必要だろうと思われている仕事に対して、その平均値を下回るコストで解消できるならその分が利益だということです。

僕なりに解釈してみると、例えばマネジメントの仕事でプレッシャーがかかる状況に対して、その仕事自体に興味関心をもって、様々な問題を好奇心とともに解消できるとしたら、本来金曜日の夜の飲み会などで憂さ晴らしする時間を、マネジメントを学ぶ時間に変換できるかもしれません。こういったコストから投資に変えるという作業こそが、ひいては方法論①のスキル習得のプラスの作用に変わり、利益が増していく好循環を生む、と捉えることができます。

 

とはいっても、キャリアを選択するときに、この仕事は相対的にストレスを感じないから選ぼう、と考えることは難しいような気がします。

どちらかというと、「この難しい仕事は、将来の仕事を簡単にするための訓練になっている」という態度で、ストレスではなく興味・関心に置き換えていく力をつける、という方が個人的には実現度が高いような気がします。(完)

 
◆当ブログで紹介した書籍
人生格差はこれで決まる 働き方の損益分岐点 (講談社+α文庫)

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「戦略」や「スキル」を過剰に信頼してしまっていることに気づく(参考書籍:成功はランダムにやってくる!チャンスの瞬間「クリック・モーメント」のつかみ方)

「成功は”ランダム”にやってくる!」は名著

twitterでオススメされていて良さそうだったので気軽に手をとった「成功はランダムにやってくる!」を読み終えました。

結論として、個人的には2019年に読んだ中で最良の本となりましたので、その中で得た気づきを整理したいと思います。

成功は“ランダム

成功は“ランダム"にやってくる! チャンスの瞬間「クリック・モーメント」のつかみ方

  • 作者: フランス・ヨハンソン,池田紘子
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2013/10/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 まず、なぜ自分にささったのかと簡単に整理してみると

・元々行動第一主義だった自分にとって、それが論理的に正しいと後押しされる内容だった

・学術的な研究結果も取り入れられており、納得度が高い

・これまで触れたことのない考えが複数あった(本が落書きと付箋だらけになった)

・実際に行動に転用できそうな内容も多々あった

ことが挙げられます。(結論ファーストで読み進めたい人からすると、米国特有の回りくどいエピソードトークに疲弊するかもしれません・・)

 

成功はランダムにやってくる

まず、この本の出発点は次のような疑問になります。

よく練られた計画や素晴らしい「戦略」が、実は予定外の会合、偶然の出会い、ランダムな出来事、偶然、単なる幸運などの結果だとしたら?マイクロソフトやノキアなどの企業、世界的に有名な作家、莫大な利益を得た投資家、新発見をした科学者などの裏話に、私達が思っているよりもランダム的要素が多かったら?成功や失敗が、ほんの一瞬先の予定外の出来事に左右されるとしたら?

 簡単に言うと世の中のビジネス本で紹介されるようなきれいな戦略とかって、本当に成功に近づくんだっけ?本当はたまたま何じゃないの?という出発点です。

本書の結論を言ってしまうと、それは「たまたま(ランダム)である」ということになります。なぜか。

 

知らぬ間にルールが変わる「予測不可能な世界」

ビジネスの世界では連戦連勝というは極めて難しい。実際のケースでも挙げられるものは少ないのではないでしょうか。企業の平均寿命が短くなってきているのも、よりその傾向が強くなっているという一つの証拠になります。

それは大前提として世の中の事象は予測不可能であるからです。特にビジネスにおいては、変数が多すぎて予測することは今後も一切不可能と本書では言い切っております。

一方で、その対照として挙げられるのがスポーツやチェスの世界ですが、この世界ではセリーナ・ウィリアムスのように十数年も王者に君臨するということが現実に起こっております。

ビジネスとスポーツでは何が違うのか?それは、背景にあるルールが不変なものか、可変なものかの違いにだと指摘します。

テニスはルールが変わらないから、徹底的に戦略的に対策をとることができる。ルールは人が決めているから変わりません。変わった場合は王者が陥落するケースは多々あります。フィギアとか水泳とかの種目でルールの変更があり上位の選手層が変わったことは記憶に新しい。

一方でビジネスの世界では、ルールは市場原理でいかようにも揺れ動く。昨年のベストプラクティスを今年応用したからといって成功するわけではないということが、このあたりから説明が付きます。しかも、その変化のスピードが年々早まっている。どんどん予測不可能な世界になっているということです。

第一に、どの企業や戦略が成功するかを予測することは不可能である。第二に、成功した企業から、なぜ成功したのか、どうすれば同じように成功できるのかという一般的な教訓を探し出すのは難しい。

 

サピエンス本来の脳の仕組みが成功パターンを欲しがっている

にもかかわらず、なぜ人は戦略的思考や他社のベストプラクティスの情報は欲しがるのか。例えばインサイドセールスの領域においても、そのパイオニア企業のセミナーやノウハウに飛びつく人が多く、一種の「流行り」みたいな現象が起きています。

それは、我々の脳がそのように「パターン認識」するようにデザインされているからのようです。友達の顔を覚えるのも、思い出を整理するのもパターンの中で行われるように、脳が好きな認識方法らしいです。(※ちなみに、なぜ脳がそのようになっているかも面白いです。↓)

誤ったパターンが真実だと真実代償が正真正銘のパターンを信じる代償よりも小さい場合、自然の選択は誤ったパターンの方を好むだろうと説明した。

 戦略は「ある方向に動くこと」にこそ価値がある

では、あれだけ重要だと言われており、ビジネスマンとして必須のスキルだと考えられている「戦略思考」って必要なのか?一生懸命ビジネス本を読むことも、無駄なのか?と嘆きたくなる流れではありますが、下記の通りそうではないようです。

戦略とは、本質的には「解決策」を見つけることではない。成功はランダム性や偶然の結果だからだ。もっと大事なのは、ある方向に動くことである。実はどの方向に向かうかはそれほど問題ではない。

 戦略は行動を促すことにこそ価値があるとします。これこそが本書の後半で語られる、成功を引き寄せるためのポイントなのですが、とにかく行動、まず実践という思想です。

特に、戦略が効くのは、組織で戦う場合です。人は、共通の思想がないと束になって戦えません。『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』にも、サピエンスが食物連鎖の頂点に君臨したのは、「虚構(宗教や神話などのストーリー)」を集団で共有できるようになったからだとしてます。戦略はもしかしたら広義の宗教のような存在なのかもしれません。組織が共通の目的に向かい、協調して一定方向に進む。その動機付けこそがが戦略を立案する最大の価値なんだと本書は強調します。

 

「同等確率の原則」という恐ろしい原則

本書では、戦略だけではなく、テニスでは最重視されるような「実力」ですら、成功の一因にはならないとします。「実力」は「スキル」と言い換えてもいいかもしれません。

実力は、時間と労力を集中させる方法を見つけるためのものであり、成功するためのものではない、と言いたいのである。成功の要因についてはその他のランダムで複雑なエネルギーが鍵となる。

それは、「同等確率の法則」で説明されます。同等確率の法則とは、例えば実力のある研究者が論文を書く際に、一発で世の中に大きな影響を与えるものは必ずしもできないと言うものです。何度も繰り返しサイコロを振るようなもので、年齢や経験にかかわらず、たくさん書けば書くほど革新的な論文が生まれる確率は高くなる。実力があると認められている研究者はそれだけ論文の量を世の中に発信しているから一定の確率で、認められるに値する論文も生まれているわけです。

企業にしても、科学者にしても、芸術家にしても、目的ある賭けをする場合の勝率はほぼ同じなのである。

 この原則が正しいのであれば、我々はとにかく多くの行動を起こさなければならない。量をこなさなければならない。本書ではこれを「目的ある賭け」と呼んでいます。

 

行動したときに起こるチャンスに気づく

そして肝心なのが、行動した結果同等に起こりうるチャンスに対して確実に気づくということです。なぜそれが肝心かというと、一般に見逃しがちだからです。なぜ見逃しがちかというと、我々が戦略的に物事に取り組みすぎており、そのとおりにいかないことに関しては脳内で優先順位が低く、エラーだったり異常値として認識されてスルーされるからです。

しかし、チャンスはエラーや異常値、驚きの中に埋まっている。それにきちんと気づいて、さらにそこにリソースを投入できるか。本書ではこれを「倍賭け」すると表現してますが、一定のリスクをとって行動を深められるか、ということになります。場合によっては、当初目論んでいたこととは逸れたり、当初目論んでいたことを諦めたりしなくてなりません。しかし、それができるかどうかで、成功の可否が決まっているかと思うと、私達はもう少し世の中の出来事に対して、客観的な態度だったり、アンコントーラブルなものだという謙虚な姿勢を身につける姿勢が必要なのかもしれません。(完)

 

◆本ブログで紹介した書籍

 

成功は“ランダム

成功は“ランダム"にやってくる! チャンスの瞬間「クリック・モーメント」のつかみ方

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サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

 

「リーダーシップ」は素養ではなく、鍛錬できるスキル(参考書籍:採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの)

すべての人に求められるリーダーシップというスキル

マッキンゼーの採用マネジャーを長年勤めた伊賀泰代さんの『採用基準』を読むと、リーダーシップを持つことの重要性と、それ自体が日本という国の成長のボトルネックになっているということに気づきます。

伊賀さんいわく、リーダーシップとはマネジメント層や管理職などのいわゆる「肩書としてのリーダー」だけではなく、すべての人に求められるスキルだと定義してます。

僕自身も日々リーダー業務を実行する中で最もフラストレーションとなるのが、一緒にはたらく人の「他責な思考」や「主体性のない言動」です。その根源になるのが、リーダーシップというスキルに対する捉え方だとこの本を通じて改めて感じました。

 

なぜリーダーシップが求められるのか?

これに対しては極めてシンプルな解があるので引用させていただきます。

自分の言動を変えるのは自分一人でできるけれど、自分以外の人の言動は、リーダーシップなくしては変えられないのです。

 世の中の問題を自分自身だけで解決するのは現実的ではないので、組織という単位で様々な課題解決に取り組んでいると解釈できます。『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』においても、そもそもサピエンスは複数人数で協力することができたので食物連鎖の頂点に君臨することができたと分析しています。人間は、複数人数で協力すること自体が特徴的な生物であり、強みだということです。

その強みを最大限活かすのは、いわゆる肩書としてのリーダーがリーダーシップを発揮することはもちろん、それを取り巻くメンバーもリーダーシップを持っていることが重要とされます。

 

なぜすべての人に求められるのか?

1.次世代のリーダー候補を育てるため

組織形態にもよるかとは思いますが、特定のリーダーが同じ役割・役職に存在し続けることは現実的ではありません。特に一般企業を考えると、リーダーのキャリアもありますし、新陳代謝を促すという目的で一般的には3〜5年単位では変化していくものと考えられます。

その際に、次世代のリーダーが育成されていない状況だと組織の劣化は目に見えてます。メンバーのうちからリーダーシップを発揮し、代替わりの際にもマイナスのインパクトを与えないように準備することが必要になります。

しかし、日本ではこの順番が逆になっているケースが多い。役職についてからリーダーシップを学ぶという順序になっているということです。欧米諸国では、リーダーシップを発揮した人物を、リーダーシップがあるとなんらかの仕事で認められた人物をリーダーに抜擢するケースが多いようです。

外資系企業にも当然、役職は存在します。しかしリーダーシップは役職にかかわらず全員に求められます。また特定の役職につくためには、就任前に、それに必要なレベルのリーダーシップが発揮できることを、実績をもって証明する必要があります。この順番が重要です。「役職が先でリーダーシップが後」なのではなく、必要なリーダーシップを持っていることが証明されてはじめて役職に就くのです。

今一度、メンバーの状態で発揮すべきリーダーシップとは何かを各組織で考える必要がありそうです。 

2.指示待ちのメンバーを減らすため

「リーダー一人が目標達成のためにあれこれ思考する組織」と「リーダーだけではなくメンバーもリーダーと同じくらい思考する組織」では、後者のほうが成果を出しやすい組織であるということは議論の余地もないかと思います。双方の意見しあい建設的な議論ができるカルチャーもセットで必要にはなりますが、それが機能するととても強い組織になるでしょう。

前者は、目標の設計においても、問題が起こった際においてもリーダーに最終決定を仰ぐ「指示待ち」のメンバーを増やします。本来、事業のボトルネックの解消や、未来を見据えた戦略立案などに思考をすべきリーダーが個別の事象や問題に対してリソースを割くという行為は組織の成長を停滞させるドライバーになります。

メンバーがリーダーの視点にたって思考できる組織は、リーダーがより重要なことに時間を費やすことできる。メンバーは本来、そのことにコミットしなければならないないのだと思います。

一人だけがリーダーというチームでは、それ以外のフォロワーは次のいずれかの状況に落ち込んでしまうからです。
一つは、「リーダーの後を素直についていくフォロアーになること」、もう一つは「チーム全体を率いることは自分の役割ではないと割り切り、個人として、できる限り高い価値を生み出すことに専念すること」です。
 
 
3.柔軟に変化対応できる組織であるため

仮にリーダーの目標設計能力が秀逸で、メンバー個別の目標を達成することが組織の目標達成にキレイに紐付いているとしても、メンバーレベルでリーダーシップを持つことは求められます。それは、「柔軟に変化対応ができる組織」でいるために必要な要件になります。

特定の組織において、メンバーがリーダーの視点で思考ができない状態だと、「あの人は言っていることがいつも変わる」というリーダーに対するネガディブな印象が多数派になります。リーダーはいつも孤独だといわれる主因な気もしますが、メンバーと視点があわないということに端を発しています。

リーダーに対する建設的ではない批判の大半は、この「成果にコミットしていない人たち」によってなされます。リーダーが成し遂げたいと考えていること、成し遂げなければならないと考えていることに対して、賛成できな人、自分には関係がないと考える人にとっては、リーダーとは突っ込みどころ満載の強権者です。自分勝手な命令者にしか見えません。

 

リーダーシップを学ぶための基本動作

では、どうすればリーダーシップを身につけることができるのか。本書では、下記の4動作を基本動作として推奨しております。

1)バリューを出す

今、自分のやっている仕事は、どのような価値を生むのかということを、強く意識する

2)ポジションをとる

自分の立ち位置をはっきりさせ、自分の意見を明確に述べる

3)自分の仕事のリーダーは自分

自分の仕事に関しては自分がリーダーであり、パートナーやマネジャーを含めた関係者をどう使って成果を最大化するのか、を考える

4)ホワイトボードの前に立つ

会議の参加者が発する意見を全体像の中で捉え、議論を整理して議論のポイントを明確にしたり、膠着した議論を前に薦めるために視点を転換したりする

 

どれも職場ではイメージしやすいことです。改めて、誰かのリーダーであるという自分と、誰かのめんばーであるという自分を想像してみて、もっとこうすべきだなと気づきになったのですが、本書を読んで僕が気になったのが、これって職場だけのことだっけ?という観点です。

仕事は複数人が頭を使いますし、人生においても時間というリソースを費やすものなので、上記のような整理は非常にしやすい。一方で、プライベートでは結構手を抜いているなと気づきました。

例えば、友人の結婚式の余興の準備、同窓会の企画などのわかりやすいところはもちろん、一般的には気が向かないようなマンションの理事会や、家庭内の家事の分担などでも主体的に取り組み、仕事で身につけたリーダーシップを腐らせないようにしたいと思ってます。

リーダーシップは基本的に姿勢やスタンスが大部分を締めます。恥ずかしい思いをしたくない、めんどくさいことは他人がやってほしいというネガティブなスタンスを捨てて、主体的に、能動的に取り組む姿勢こそが、仕事を動かす人間になると考え、プライベートの場面でもそのスタンスを変えること無く生きる必要がありそうです。(完)

 

◆本ブログで紹介した書籍

採用基準

採用基準

 

 

「精読」から始まり「乱読」を目指す読書家の成長曲線(参考書籍:乱読のセレンディピティ)

子供の頃に読書にハマるのは難しい

今となれば本が大好きなのですが、子供のころは全く本を読みませんでした。記憶にあるところで言えば、流行ったドラマの原作、図書館にいつもあった『ズッコケ三人組』、何かの歯車があって本屋で面白そうだと思った推理小説くらいなものです。

その理由を振り返ってみると、「それで特に困らなかったから」と、「他にも楽しいことがあったから」。

そしてもう一つあるとしたら、「本を読めと言われて育ったから」がありそうな気がします。他責な発想ですが、僕だけではなく他の人にもあてはまるのではないでしょうか。

前提として、本を読む行為というのは他に何かをする行為と引き換えにその時間を捻出するので、それだけの意義を見出さなくてはなりません。子供の頃の意義とは、その時間が面白いかどうかがものさしになります。それに対して、読書という行為は面白くなるのに非常に時間がかかる。読書だけではなく、サッカーも水泳も、書道もピアノも面白くなるのには一定時間がかかるのですが、それらは段々とハマるための仕組みがしっかりできています。

一番大きい役割を果たしているのは、本番があるということです。スポーツで言えば試合、ピアノで言えば発表会、書道も大会があります。本番は、①定期的に実力を披露するために高頻度&継続した取り組みが必要、②競争心理がはたらくのでモチベーションを維持しやすい、という2点の特徴から、最も挫折しやすい序盤戦を助けてます。

一方で読書に関しては、本番はありません。徹底的に孤独な作業です。そんな環境の中読書にハマることができるとしたら、「好奇心」と「問題意識」が必要となります。僕は、おそらくどちらもありませんでした。もしかすると「好奇心」はあったかもしれませんが、それは最初のステップである「読書も面白いかもしれない・・」に気づくまでの山を登るほどのエンジンは積んでませんでした。

親や人から本を読むようにとアドバイスを受けたのも逆効果でした。具体的なタイトルを指定されたかどうかは覚えてませんが、大人たちの言う読書とはこうも面白くないものかと思い、更に読書道から離れました。そして、ハマりやすい特性を持つスポーツに身を捧げ、大学生になるまではほぼ本を読みませんでした。

 

自分事化した問題意識が読書習慣を育てる

僕が読書にハマったのは、27歳の頃、転職をして、仕事の仕方が180度変わったことがきっかけです。ベンチャー企業が故に「上司=メンター」となり、おいそれとなんでもかんでも質問できる環境ではありません。目標ですら自分では決めなくてはならないなど、とにかく「答え」というものが徹底的にない。(今考えると大企業にいた時は「答え」だと勘違いしていた事柄も大量にありましたが)

そんな環境の中、頼る選択肢が他にはなく本を読みました。

結果的にこれがとても良かった。自分事化した問題に対して、読書から学びを得て、行動に変えていくというサイクルがここで身につきました。

外山慈比古先生の『乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)』を読むと、読書の姿勢として「精読」と「速読」の違いについて考えさせられます。前者は「舐めるように読む」スタイルで、後者は「風のように読む」スタイルです(10分読書みたいな極端な例を示しているわけではありません)。

27歳の頃の僕の読書は精読でした。教科書を読むように、大事な箇所にはペンを入れ、書き写しました。しかし、自分が今向き合っている問題の解決のために手にとっている本になりますので、苦ではありません。むしろその作業をやらずに遊び呆けている方がストレスでしたので、案外簡単に最初のステップである読書が面白いというステップにはたどり着いたのだと思います。

 

人に薦められた本は雑に読めない

この頃は人に薦めらた本を読んでました。今振り返るとビジネス書の中でも、大変人気なベストセラー的なものが多かったですが、その頃は「これを読めばなんとかなるかも・・」と藁にもすがる想いでした。上司から感想も求められましたので、1ページも読み飛ばしません。当然、1冊を読むのに大変な時間をかけることになります。最初はそれでいいのかもしれません。特に新しいジャンルの本を読む上で速読は極めて乱暴で逆に遠回りするケースもあります。

しかし、読むすすめていくうちに、これは一般論だな・・とか、これは自慢エピソードだな・・とか「良い意味で」冷めた読者視点を得ていきます。この状態で、著者を神格化したまま懇切丁寧に読むのは非常に効率が悪い。読書家の人はこうしたタイミングで速読を身に着けていくのだと思いますが、人に薦められた本だとそうした雑な読み方をするのに躊躇する。更に、あの人はどこが学びになったのだろうと、不必要な憶測をしたりする。読書をしているときに、著者の顔や、ましてや推薦者の顔が出てくるほど気が散ることはありません。結果的に得られる学びが散漫になって、芯を食った学びが得にくくなるのではと考えます。

人は近道をしようとして、他の人にオススメの本を聞きます。しかし、その薦められた本をちゃんと読む人がどのくらいいるでしょうか?僕は何冊も薦めてきてますが、あまり良い反応を得たことはなく、そもそも読了しているかも怪しいなと思うことも多々あります。それは、多分、自分の責任で読んでないからです。課題図書になっている。教科書みたいになっている。

人からススメられるのであれば逆に遠い人です。本でしか出会えないような著者だったり、SNSでフォローしている人だったり、パーソナリティをあまり知らない人のほうがいいと思います。

 

乱読のススメ

そうなると、本は自発的に選書したほうが良いということになりますが、自発的に行う選書の仕方で読書人生が決まるかもしれません。先程紹介した本は「乱読」をススメている本です。

乱読とは

やみくもに手当たり次第、これはと思わないようなものを買ってくる。そうして、軽い好奇心につられて読む。乱読である。本の少ない昔は考えにくいことだが、本があふれる今の時代、もっともおもしろい読書法は乱読である。

 

乱読を薦める理由は、ざっくり下記2点となります。

1)速読することで総論の理解度が上がる

乱読の良いところは、早く読むことである。専門、あるいは知識を得るための読書は知らず知らうのうちに遅読になりやすい。言葉は、さきにのべたように、残像を伴っている。時間的現象であるから、丁寧な読書では、残像に助けられる読みが困難である。

確かに、速読したほうが大筋をつかみやすい。結果、思考につながりやすい。精読して、読書がとぎれとぎれになり、各論でしか理解が進まないという状態はデメリットが大きい。速読で枝より木を捉え、この本で得た学びは何か、を速いサイクルで回したほうが得られるものが多いと思います。

 

2)偶然の気付きがある

乱読は興味向くまま読むので、結果的に多読することになります。多読は複数の本を並行して読むことになるので、本と本の偶然の出会いによって、普通出会えないような偶然に出会う可能性を高めます。この本と並行して読んでいる『成功は“ランダム"にやってくる! チャンスの瞬間「クリック・モーメント」のつかみ方』にも近い概念が紹介されています。成功は計画的に生み出せるものであはなく、計画を実行している中で生じる偶然の気付きを受け止めてちゃんと試してみる結果生じるものだ、と。

読書も一緒なんだと思います。たくさんの情報に触れることで、思わぬ気付きがでてくる。その気付きこそが読書の価値なのかもしれません。外山先生は、その機会を増やすために、ジャンルにとらわれない選書を推奨しています。

乱読はジャンルにとらわれない。なんでもおもしろそうなものに飛びつく。先週はモンテーニュを読んでいたがちょっと途中で脱線、今週は寺田寅彦を読んでいる。来週は『枕草紙』を開いてみようと考えて心躍らせるといったのが乱読である。ちょっとやそっとのことでは乱読家にはなれないのである。とにかく小さな分野の中にこもらないことだ。

小さな分野にこもらず興味の向くまま手を伸ばしてみる。ジャンルを限定しすぎず、小さな好奇心を大切にして、本に触れ合っていこうと思います。(完)

 

 ◆本ブログで紹介した書籍

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

 
成功は“ランダム

成功は“ランダム"にやってくる! チャンスの瞬間「クリック・モーメント」のつかみ方

  • 作者: フランス・ヨハンソン,池田紘子
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2013/10/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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転職では「得られるもの」だけではなく「失うもの」にも注目する(参考書籍:仕事選びのアートとサイエンス)

「転職のような経験」は、長い人生で意外と機会がない

転職活動自体が、過去にないほど当たり前のものになってきていると実感します。人材系会社が広告などで転職活動を推奨し続けているという背景もありますが、各個人の中で「一つの会社しか経験がないことが逆にリスク」だと捉えられてきているからだと思います。

各個人で転職の理由・背景は様々あるかと思いますが、どんな理由にせよ、転職自体はリスクであることには変わりません。単に、会社や職種が変わるということだけではななく、勤務場所も使う言葉も、毎日挨拶する人も様変わりする、いわば「ゼロからのスタート」というのが転職という行為になります。

人生の中でそういった経験はそう多くありません。義務教育時代は、転校がまさにそれに当たりますが、転校の経験がない人はその経験すらしたことがないかもしれません(僕はありません)。大学生になって上京を経験すると、ようやく「ゼロからのスタート」を経験します。しかし、それも転職とはやはり異なります。大学生は皆がゼロからのスタートなので、不安や喜びを周囲と共感しやすい。転職では、大きい会社ではない限り「オレだけがゼロスタート」です。

 

転職活動における見落としがちな視点

そう考えると、転職本がよく売れるのが理解できます。経験したことがないリスクや不安に関してはやはり情報がほしい。転職経験のある諸先輩方の失敗談や成功体験を知っておくことは、いささか不安を打ち消してくれそうです。

しかしそれはあくまでも先輩Aさんのケースに過ぎず、どの転職もユニークであるということを前提にしないとならない。逆に転職本やキャリアコーディネーターの方が想定する通りの転職は、市場価値を高めるという目的から反してコモディティ化するということにもなりえます。

では、自身の環境をユニークだと捉え、その転職を考えるときに注意しなければならないことはなにか。『仕事選びのアートとサイエンス (光文社新書)』の中で山口周さんは、下記のように指摘しています。

このように考えていくと、「攻めの転職」で何を留意すべきか、という点も見えてきます。それは「何を得られるかではなく、何を失うかをちゃんと考える」ということです。

人は「無い物ねだり」 という心理に陥りやすいものです。転職なんてまさにそう。人生の中で大きな構成を占める「仕事」から得られるものを「無いものだり」するのは当然といえば当然で、年収やブランド力、役職や勤務先、ビジョンからなんとなくの雰囲気まで、とても幅広く比較できる要素が取り揃ってます。 

そのときに、注意しなければならないのが、「今持っていないもの」だけではなく、「今持っているもの」を正しく認識すること。その「今持っているもの」が自分の中でどのくらい大事かをジャッジすることが大切です。

 

大手企業からの転職経験

僕は、大手企業(製薬会社)からベンチャー企業(WEB会社)への転職を経験してますが、この見立てがあまく結構苦労しました。かなり粗めに、整理すると下記のように分けることができます。

 

1)前職には無くて、転職先で得られるもの:職域/商材の幅、意思決定の総量、マネジメント経験

2)前職にはあって、転職先でも得られるもの:成長産業、営業スキルを磨く経験

3)前職にはあって、転職先では得られないもの:ウェットな人間関係、福利厚生、大手企業の安心感、同期

 

結果的には1)が3)を上回っているので、転職自体は後悔は全くしておりませんが、人間関係が大きく変わったこと、不安や焦りを共感できる人がいないことについてはかなり苦労しました。現時点でもドライな人間関係に対して抵抗がなくなった/免疫がついた、というわけではなく、ウェットな人間関係を好む人となるべく仕事を多くしたり、自身からそういう雰囲気作りをしたり、というように、環境自体を変えにいくという対策をとってます。自分の中でその価値観がいかに大切であるかということが、今ではよくわかります。

 

成熟企業 vs スタートアップ

今後、転職先を思考する際に、スタートアップ系企業に務めるというのも選択肢の一つです。一つのビジョンをもとに、そのビジョンのために仲間と切磋琢磨する日々はとても魅力的です。しかし、その中でもやはり、「得られるもの」と「失うもの」をきちんと整理しなくてはならない。それを理解した上で、最終的に「譲れないもの」がなんなのか、を自分で理解してくことが、最終的に転職先で修羅場を迎えたときに踏ん張れるかどうかの成否を決めるような気がします。

山口さんは、成熟した企業とスタートアップでは課題発見の部分から根本的に異なると指摘します。

スタートアップ企業というのは、課題を投げかけてくれる顧客の数が少ないので、構造的に好奇心駆動形にならざると得ません。十分な顧客基盤が出来上がれば、顧客の課題を解決することで事業の運営が成り立つわけですが、十分な顧客基盤がない状況では、内発的な動機に基づいて商品を作ったりマーケティングを行ったりして顧客を創造しなければならないわけです。

これを先程の観点に置き換えてみると、課題解決型の仕事が「コアスキル」で、かつ「やりたいこと」でもある場合は、一定の期間においてはそれを失う可能性が高い、ということになります。

成熟企業においては「顧客が十分にいる」というのは当たり前の状況ですが、改めてそれ自体が価値あるものだと気づきます。そしてそれが自分にとって「譲れるものかどうか」ということをきちんと整理するという作業を行わなくてはならない。これは、一念発起して転職活動をした時だけにやればいい作業ではなく、定期的に見直さなくてはならないものだと思います。

何が譲れないかを明らかにする

本書では、こうした譲れない価値観を『キャリア・アンカー』=「個人がキャリアを選択する際に、最も大切、あるいはどうしても犠牲にしたくない価値観や欲求」と紹介してます。

エドガー・シャインはキャリア・アンカーについて、「自分のアンカーを知っていないと外部から与えられる刺激誘引(報酬や肩書など)の誘惑を受けてしまい、あとになってから不満をかんじるような就職や転職をしてしまうこともあります」と指摘しています。

キャリア・アンカーは8つの分類があります。

1)専門・職能別コンピタンス

2)全般管理コンピタンス

3)自立・独立

4)保証・安定

5)起業家的創造性

6)奉仕・社会貢献

7)純粋な挑戦

8)生活様式

普段からこういった概念に触れ、自分のキャリア・アンカーはなんだろうかと思考しながら、様々な経験を経てその輪郭を明確にしていく作業も、転職活動を始めてからでは遅いのだと思います。仮に転職の予定などが全くなくても、定期的に見直す機会を作るのが良いのかもしれません。(完)

 

◆本ブログで紹介した書籍

仕事選びのアートとサイエンス (光文社新書)

仕事選びのアートとサイエンス (光文社新書)

 

 

苦手な「スピーチ」は失敗談を取り入れると上手くいく?(参考書籍:TEDトーク 世界最高のプレゼン術)

日常の中でのスピーチの機会

皆さんは日々の生活の中で、スピーチをする機会はありますか?

プライベートでは結婚式くらいしか思い浮かばないですが、仕事ではスピーチの機会が結構あります。

具体的には、

●朝会などの社内ミーティング

●期が変わった節目のタイミングでの部門総会

●メンバーの入社、退職の際

●マーケティング施策の一環としてのセミナー

などがそれに当たります。

いずれも毎回緊張するので得意だとは思いませんが、思考して準備したものをアウトプットするという場では、いい環境をもらっているなと思います。

また、スピーチ自体は経験を重ねるごとに慣れてきている感覚があって、たまに複雑な構成にチャレンジして失敗してます。笑いをとりにいこうとして失敗することも多々。ここで言う「慣れ」とは、スピーチ自体が上手くなってきているということではありません。それは、過度に聞き手の反応に期待して心を取り乱すのではなく、ある程度身の程を知って、聞き手の反応を冷静に受け止めることができるようになってきた、ということです。

 

スピーチの3つの種類

スピーチのことを考えるにあたって、スピーチがどのような種類があるのかを、「話し手と聞き手の関係値」によって下記の通り3つの種類に分類してみます。

(1)継続的な関係(社内でのスピーチなど)

(2)初対面、一時的な関係(講演会やセミナーなど)

(3)1と2の混合型(節目の挨拶や結婚式など)

 

スピーチの構成を考えるときに、これらの観点は非常に大切です。

例えば、話し手のことの認識がない/少ない「(2)一時的な関係」または「(3)一時的な関係を多く含む」場合は、自己紹介がカギを握っています。

結婚式は、主役である新郎新婦との関係値を具体的なエピソードと共に伝えられるか、セミナーでは特定の分野において自分が信頼に足る存在だと理解してもらえるか、がそれぞれ重要です。(※僕は結婚式の友人代表のスピーチで、その前提をサボってしまいなんとなくふわっとしたスピーチになったことがあります)

こうした類のスピーチが世の中的には一般的なものとして扱われており、手にとった『TEDトーク 世界最高のプレゼン術』はまさにそんな本でした。この本は、TEDというテクノロジー、エンターテインメント、デザインの分野のアイデアをAppleの記者会見ばりの手ぶら感でおしゃれにプレゼンする番組の(紹介するまでもありませんが)、プレゼンターたちを分析したプレゼンハウツー本です。

当然ですが欧米流のプレゼン手法なので、日本で応用するのが難しい部分もありましたが(表情で笑う箇所を教える、など)、参考になる箇所も結構ありました。その一例を上げておきます↓。

●核となるアイデアをはっきりさせ、ほかは捨てる

●自分以外の誰かをヒーローにする

●WHYやHOWの質問から始める

●自虐的なユーモアは簡単で効果絶大

 

一方で、(1)の場合は、自分の認識を前提としつつ、その認識を客観的に理解した上での内容構成が重要になってきます。よって、個人的には(1)継続的な関係を対象とするスピーチが一番難しいと思っています。

 

「失敗談」こそ最強のスピーチ術?

3種類のスピーチの全てに有効

改めて考えると継続的な関係の中でスピーチするという行為は、「点と面」ではなく、「点と点」の掛け算だから難しいと捉えることができます。

前章であげた自分の認識レベルの低い対象に対しては、面でのアプローチが可能です。前提条件がほぼないので「認識レベル1」から話を始めればいい。一方で、継続的な関係地の場合は、点Aと点B、点Aと点Cの距離はそれぞれ違います。例えば、同じチーム内のメンバーと隣のチームのメンバーでは、認識レベル3の人もいればレベル10の人もいます。内輪話をすればいいかと言うとそうではありません。内輪話は認識レベルの低い外輪の人からすれば最も寒い話です。

では、どうすればいいか。それは「失敗談」を話すことです。おそらく、どんな立場の人であろうと失敗談を話すことがスピーチにおいては勝ちパターンであることが多いです。

TEDの本にも書いてあった通り、失敗談は「自虐的な」話でもあります。また、失敗談には何かしらの「学び」もセットでついてきます。失敗談自体は、自慢でも内輪話でもありませんし、そこから得た学びは、失敗談があることで説得力を増します。

お笑い芸人の方々は、失敗談=ネタとしてネタ帳に宝として刻まれる対象とします。これは、失敗談が一般的にトークのネタとして好まれることを意味しています。

 

失敗するためには挑戦すること

しかし、ネタ帳にわざわざ書くくらいですから、案外、失敗するのは簡単なことではありません。少なくとも同じような毎日、同じような生活では、人間は賢いので失敗することはあまりないでしょう。そう考えると、新しいことに挑戦したり、昨日とは違う一日を過ごすことが、格好のトークのネタを用意してくれると言えそうです。

読書で新しい知識を身に着けたりすることも話のネタとしては面白いですが、実は自分事ではないのでスピーチのネタとして成り立たせるのは難しい。そこに失敗談という「自分の経験」がセットになることで、その人が話すべき理由が生まれるのだと思います。

たとえ、自分の認識レベルが揃わない環境でも、失敗談であれば、勝手にその人のレベルで解釈してくれるのだと思います。失敗談を見つけて、そこから得られた学びをアウトプットする習慣をつければ、仕事の質自体も向上してくるかもしれません。(完)

 

◆本ブログで紹介した書籍 

TEDトーク 世界最高のプレゼン術

TEDトーク 世界最高のプレゼン術

 

専門家でもわからない人類4つの謎(参考書籍:サピエンス全史(上巻))

過去を知る力の発展

歴史や生物学の本を読んでいると、「なんでこんなことがわかるのか?」もしくは、「なんで断言できるのか?」ってなることが多いです。例えば、発見された化石が何年前のものなのか、とか、性別は?どんな社会?とか。たった一つの証拠でどんどん事実を紐解いていくさまに、到底たどり着けない領域に受け身になり、批判的な姿勢でいることに諦めさえ覚えます。

たまにTV番組の特集で、その論理が披露されることもありますが、地質学や生物学、歴史認識など多くの学問を導入して一つの解を出していることがわかります。

先日、AMAZONプライムで視聴できる恐竜の特集を見ていたときは、恐竜の化石に刻まれた肉食の恐竜の歯型の痕跡で、その対象が肉食もしていた、という事実から壮大な恐竜社会のストーリーが描かれてました。何か、とてもバランスの悪いジェンガを積み上げていくような繊細な感覚で、とても面白い。

 

一方で、「ここまではわかってるけど、ここからはわからん」という態度も非常に面白く思います。わからない領域があるからこそ、探究心が掻き立てられるのだと。

最近ハマっている「サピエンス全史」もそのような描写が多くありました。この本は、問い→仮説1、2、3→主張、みたいな構成が多く続くのですが、最後に「実はわからないんだよね」というオチが結構あります。現代の科学をもってしても、未だに回答が出ない領域。

ここでは、そんな「結果的にわからんものはわからん」という部分をまとめておきたいと思います。

 

専門家でもわからない過去

脳の進化

サピエンス(現代の人類)が生物界の食物連鎖の頂点になることに貢献したのは「脳の巨大化」であることは疑いのない事実だと思います。脳があることで、火を使い倒すことができるし、自動車も銃も作れます。

では、いったい何が人類の巨大な脳の進化を推し進めてきたのか?それは、現時点ではわからないそうです。

脳の巨大化はメリットばかりではなく、むしろデメリットもたくさんありました。巨大化にともなって重くなり、その荷重による腰痛や肩こりといった身体的な負荷は自然界では致命傷でした。更に、多くのエネルギーを消費するので筋力も衰えました。その割には、脳が巨大化してからそれをうまく活用するのに、数百万年の月日を要してます。火を使い出してからはついに頭角を表し始めますが、そのために巨大化したとも考えられない。むしろ、たまたま脳が大きくなった霊長類が、普通の生態系の一部としてなんとか生きながらえていた結果、たまたま「火」を使えるようになって・・みたいな偶然の結果と考えるほうが自然なのかもしれないです。

何が人類の巨大な脳の進化を推し進めてきたのかは「わからない」

 

 認知革命

「認知革命」とは7万年前から3万年前に起こった新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを言います。本書では、この「認知革命」こそ、サピエンスが生物界の頂点に上り詰めた第一歩だとするのですが、その原因は何だったのかわかってません。

一説によると「遺伝子の突然変異」が起こったと考えられているようですが、それも単なる偶然ではないかとのこと。この説は、ネアンデルタール人に起こってもおかしくなかったとします。

一方で、「噂話」をするために言語が発展したとの説もあります。サピエンスは自然界の中では運動能力的には弱小です。協力しなければライオンに狩られるし、すばしこいウサギなども捕まえられない。そうした「社会的な動物」としての特性が、誰を信頼できるか?という情報を収集するために、複雑な言語が生まれたとされます。この説を考えてみると、そもそも裏切ったり、信頼できない行為をするやつがいるから、そうではないやつを特定するという目的が言語を育てたと考えることもできます。裏切りがサピエンスを育てたとすると複雑な気持ちになりますが、人間の本来的な醜い部分に触れたような気がして面白いです。

なぜサピエンスに認知革命がおこったのかは「わからない」

 

狩猟採集民の生活

7万年前に認知革命が起こってから、サピエンスは遺伝子の進化を上回るスピードで自然界を席巻していきます。 そして、次の転換点は「農業革命」です。これは1万2000年前の出来事。サピエンスが生まれた250万年の歴史を人間の人生に当てはめてみると、認知革命が起きたのが「3年前」で、農業革命が起きたのが「半年前」です。やや脱線しますが、遺伝子の書き換えには数万年はかかるようでして、現代人の遺伝子はほぼ狩猟採集民に形成されたとされてます。(道理で、米や麦を毎日のように摂取すると太ったり、夜行型の生活をすると体調を崩したり早死したりするわけです。)

確かに、短い人生を考えてみても、半年間では人格は変わりませんが、3年もあると構成する細胞もすっかり変わっているでしょうし、考え方も付き合っている友達も変わったりします。

そんな現代の人類を作っている狩猟採集民の生活ですが、実はほとんどわかっていないそうです。これは理由はとてもシンプルで、冒頭で述べた過去を知るために必要な考古学的は、主に骨の化石や石器から成るわけですが、狩猟採集民はそもそも定住していないですし(骨が分散する)、道具もほんのごく一部しか使っていない。つまり、道具を使い、定住し始めた農業革命以降の社会とは違い、証拠が見つからないわけです。

こう考えると、もしかしたらどれだけ科学が発展しようが、永遠に謎、ということも考えられます。想像が大好きな人類にとっては、狩猟採集民は永遠にわからない関心の対象であり続けるのかもしれません。

狩猟採集民の生活はほとんど「わかっていない」し、これからもわからないかも

 

男性優位社会

農業革命の面白いところは、どこか特定の地域で偶然に始まってそこから前回に普及した、というわけではなく、複数の場所で独立して発生したということです。具体的には、中東、中央アメリカ、中国、北アメリカニューギニア、西アフリカをそれぞれ独立して始まりました。 

農業革命により、サピエンスが大規模なネックワークを構築することができるようになり、爆発的に人工が増えていくわけですが、「多くの人にとって良いことずくめではなかった」とするのが筆者の主張です。

その根拠の一つとなるのが、「ヒエラルキーの登場」です。インドでいうカースト、アメリカの黒人vs白人、奴隷と支配者、雇用する側とされる側。数でいうと、支配される側が多いわけですから、下位のヒエラルキーに属する人類は、狩猟採集民と比較した場合には、たとえ寿命が伸びて獣に襲われる生活にから脱したとしても「不幸」だと言えるかもしれません。

ヒエラルキーの中でも、あらゆる社会に存在したのが、男性と女性のヒエラルキーです。本書では、「少なくとも、農業革命以降、ほとんどの人間社会は、女性より男性を高く評価する家父長社会だった」と分析してます。もちろん、クレオパトラや武則天などの例外もありますが、それらはレアケースで、レアケースであるからこそ歴史に刻まれていると捉えることができます。

では、なぜほぼすべての社会で男性が女性よりも重んじられてきたのか?それはわかりません。筋力の違い、攻撃性の違い、遺伝子の違いなど様々な説は提唱されますが、どれも決め手にかける説のようです。

筋力は確かに男性のほうが強いが、それはあくまで平均的な差分で、個体単位でいうと男性よりも強い女性がいます。

攻撃性に関しても、確かに個体単位ではそうかもしれないが、戦争や争いはそういった個の攻撃性だけで立ち向かえるものではない。むしろ冷静な分析力やリーダーシップが必要な中での説明にはなりません。

遺伝子に関しては、やや説得力があるように思えます。それは、女性が出産という役割を担っている以上、人生のどこかで社会的弱者になりえる局面がくるということです。その期間は他社に守ってもらわなくてはならない。しかし、これも他の生物の例を考えると説得力にかけるものになります。例えば、ボノボやゾウはメス社会で、男性はむしろ孤立してます。これらの動物はメスが徒党を組んで、度を超したオスを打ちのめすようです。

なぜ女性より男性が重んじられてきたのかは「わからない」

 

現代の変化をどう捉えるのか? 

ここでは、過去の出来事でも、原因や事実がわかっていないことを何点かピックアップしてみました。わかっていないことに関する、様々な仮説が面白く、その思考プロセスや主張と反論の考え方は勉強になります。

さらに過去を考えることは、現代の出来事を長い歴史の中でどう捉えるのか?という視点も与えれくれます。例えば、先に記載した男性と女性の格差については、何万年も続く根深い問題ですが、この21世紀においては、潮流が一気に変わってきていると思います。雇用の問題や差別の問題もまだまだ問題は残しながらも過去の比較でいうとその是正に前向きな変化が起こってます。同性愛などに関しても同様です。黒人差別なども、アメリカで大統領が登場するまでになりました。なぜ、現代はこのような年百年、何千年と変わらなかったことに対して変化を生むことができたのか?もしかしたら僕がまだ読めていない本書「サピエンス全史」の下巻にもそういった問いに触れてそうですが、その前に自分自身で少し考えてみようと思います。(完)

 

◆本ブログで紹介した書籍

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

 

理想の睡眠のために知っておきたい7つの技術(参考書籍:最高の脳と身体をつくる睡眠の技術)

習慣としての睡眠

仕事のパフォーマンスと身体の健康状態は相関関係にあります。というか仕事のパフォーマンスの重要な資本として、身体があります。考えてみれば当たり前のことなんですが、少なくとも僕の20代の生活はそれをよく理解しておらず、それが31歳の今の生活にも影響を与えています。

「身体の健康」をベースに生活を構築しようと思ったとき、今の当たり前を見直して、新しいリズムに再構築する必要があります。しかし、それはとてもハードルが高い。習慣を簡単に変えられるなら、身体の健康状態なんて気にすることなくもっと仕事がパフォーマンスしているはずです。

 

習慣を変えるためには、次のステップが必要です。

 

(1)その習慣を身につけることで得られる報酬を理解している(≒身につけないリスクを理解している)

(2)その習慣を小さくてもいいから始める

(3)その習慣により実際に得られた報酬を理解している

(4)続ける

(5)頭で考えなくても実行できるようになる

(※)習慣が阻害されたときに、それを検知して対策を打つ

 

だいたい(2)のステップで離脱することが多く、これを三日坊主と呼びますが、実は(1)のステップを軽視しているからだと思います。誰かに聞いたから、とか誰かに言われたからなどと言った薄い説得材料では長続きしません。なぜなら、習慣化するためには何かを諦める、やめる、という選択の連続なので、それが仮に誘惑の強いものに晒されたときに簡単に阻害されてしまうからです。

「睡眠」に関しては、特に理解が薄いのだと思います。睡眠は、おかげさまで自然なライフサイクルの中でその欲求が訪れます。しかし、だからこそ意識して睡眠をしている人はいない。意識して睡眠を整えようという人はかなり少ないのが実態だと思います。

当然睡眠不足だと日中の活動がつらい・・とかで睡眠時間の確保をしっかりする動きをしている人は多いと思いますが、どちらかというと後手を踏む作業です。賢い人は、自ら睡眠をコントロールする力を身に着けなければなりません。

 

理想の睡眠とは?

そのためには、理想の睡眠の姿を、まず頭できちんと理解しておかなくてはなりません(習慣化(1)のステップ)。

ニュースアプリや情報サイトでは、よくこういったコンテンツを目にしますが、下記の本が、説得力のある情報がよく取りまとめられていました。

 

■『最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』、ショーン・スティーブンソン

SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術

SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術

 

この本がどういった技術を推薦しているかは、目次を見れば一目瞭然です↓

<本書の構成>
1章 睡眠は人生のすべてを左右する
2章 睡眠ホルモンを自らつくりだす
3章 電子機器の使い方を見直す
4章 カフェインの門限は午後2時
5章 体深部の温度を下げる
6章 午後10時〜午前2時のあいだに眠る
7章 腸内環境を整える
8章 最良の寝室をつくる
9章 夜の生活を充実させる
10章 あらゆる光を遮断する
11章 熟睡したいなら運動するしかない
12章 寝室にスマホを持ち込まない
13章 余分な脂肪を落とす
14章 快眠をもたらす最高の飲酒法
15章 最高の睡眠は寝るときの姿勢で決まる
16章 睡眠のためのマインドフルネス入門
17章 サプリは本当に必要か
18章 早起きで脳の働きを最大化する
19章 マッサージは睡眠に効く
20章 最高のパジャマはこれだ
21章 身体を自然に触れさせる 

 

ここでは、「説得力があって実行したほうが良いと思った」✕「大幅に生活習慣を変えずに実行できそう」が合致する技術を紹介します。

 

厳選 7つの「すぐできる」技術

1.午前6時から午前8時30分のあいだに太陽光をあびる

2.就寝90分前にはブルーライトを遮断する

3.コーヒーは午後2時まで

4.午後10時〜午前2時のあいだに眠る

5.午前中に運動する

6.週に2日、ウエイトトレーニングをする

7.アラームにスマホを使用しない

 

解説 7つの「すぐできる」技術 

これらを補足する前に、関連するホルモンを紹介いたします。

■睡眠に関連するホルモン

セロトニン:幸福感や満足感をもたらす一助になる物質。95%が消化管でつくられる、メラトニンの広報担当者。
メラトニン:熟睡を促すホルモン。光を浴びた量に大きく左右される。
コルチゾール:生体のリズムを日々管理する副腎ホルモン。睡眠のサイクルに欠かせない。メラトニンと反比例の関係にある。
ドーパミン:注意力を高め、意識を覚醒させる。獲物を探す、先がどうなるのかを知る、ということで分泌される。
アデノシン:アデノシン受容体の結合が一定レベルに達すると、とたんに身体が眠気を催す。
カフェイン:アデノシン受容体と結合できるという特異な性質がある、半減期は5〜8時間
1.午前6時から午前8時30分のあいだに太陽光をあびる

他の項目にも言えることですが、大前提として「遺伝子」とは書き換えに数千年〜数万年の歳月を要するということがあります。人間の歴史を振り返ると、農業を始めたのが1万年前、電気を使い出したのが数百年前、夜行型の人間が生まれたのも最近の話です。

つまり、我々がベストパフォーマンスを出すためには、農業革命よりも前の「狩猟採集民」時代の生き方を再現するのが良いということにもなります(極論ですが)。電気のない時代は、基本的に太陽のリズムに合わせて寝起きをしていました。そうでないと、夜行生活に特化している他の動物に狩られるというリスクがあります。日中に動いて夜は休む。この当たり前のリズムは太陽に合わせた形で設計されてます。人間の仕組みもそうでいていて、太陽の光でホルモンが放出されたり、そうでなかったりするようです。

ここで関わるホルモンはメラトニンとコルチゾール。これらは反比例の関係にあって、コルチゾール優位だと活動的、メラトニン優位だとリラックスした状態になります。 

2.就寝90分前にはブルーライトを遮断する

これには観点が2つあって、1つは太陽と同じように光自体がホルモンの放出に関わっているということ。簡単にいうと日中と勘違いしてコルチゾールが働いてしまう。

もう1つは、ブルーライトを発する媒体(スマホ、PC、テレビ)は情報なので、「先がどうなるかを知る」ということに特化して作られているということです。つまり先に上げたドーパミンが放出されるということ。ドーパミンは注意力を高め、意識を覚醒させるホルモンなので、こいつが働き出すとと睡眠に適さない状態になります。

3.コーヒーは午後2時まで

これはアデノシンというホルモンが関係してます。仕組みとしては、コーヒーに含まれるカフェインという物質がアデノシンに構造上、非常に似ていて、アデノシン受容体と結合することができる、ということで説明できます。本物のアデノシンが結合すると、睡眠が誘発されるのですが、偽物のカフェインが結合すると何も反応が起きない。なので、カフェインは昼間に眠気防止として愛飲されているのですが、厄介なことにこいつが身体から半分以上消失するのは8時間かかるということです。なので、2時以降に摂取してしまうと、睡眠を阻害するということになります。

4.午後10時〜午前2時のあいだに眠る

これも1)で取り上げた「遺伝子、狩猟採集民のまま説」で説明できます。ご先祖がこういうリズムで生きてきたから逆らえないということですね。本書では、この時間のことを「投資タイム」と表現しており、

曜日に関係なく睡眠のリズムを一定に保つことこそがメリット

 だとしてます。多分、これが7つの中で一番むずかしいのですが、これは後で取り上げてみようと思います。

5.午前中に運動する

まず、「運動をする」ということが睡眠の質をあげるための条件としてあります。これも遺伝子説を考えると納得できるのですが、狩りとか採集とかは目的達成のために運動が必要不可欠のため、現代社会のホワイトカラーのように動かない生活というのは極めて例外だということです。運動は眠るために必要なストレスで、睡眠はその運動の見返りを最大化するために必要な作業らしいです。

実は、運動による身体の変化は眠っている間に起こる。眠っているときに、身体のためになるホルモンが大量に分泌され、いぜんよりも強い体にするための修復プログラムが発動するのだ。 

ここで、「午前中」となっているのは、午前中が向いているというより、夜が向いていないとうことのようです。運動すると、身体の深部の温度が高まります。そうすると、身体は活動状態だと錯覚しますので、やはり睡眠に適した環境ではなくなるということです。運動は絶対したほうがいいけど、夜は適さないよ、ということですね。 

6.週に2日、ウエイトトレーニングをする

 で、その運動の中でも有酸素運動よりもウエイトトレーニングが向いているようです。ホルモンの働きを最大化するという観点で有酸素運動が実は機能が弱く、ウエイトトレーニングは直接作用するということ。1週間に1回でも睡眠に対しては効果があるようなので、少しずつ習慣にしたいところです。

7.アラームにスマホを使用しない

 2.の項目に関連しますが、「寝室」✕「スマホ」は別の意味でも相性がよくありません。目に見えないので実感するのは難しいですが、「電磁界」なるものが睡眠ホルモンへの悪影響やがん細胞への影響があるとのことのようです。確かに、Wi-Fiや電波というのはここ数十年でめざましく発展をとげて、日常生活に常時あるものになったわけですが、これを百年経験したことがる人類はまだおりません。そう考えると、未知のリスクがあるかもしれないので、気になる方は今のうちから対策をしておくのが良いのだと思います。

家庭にある電化製品や電子機器からは、電界と磁界の療法が発生していて、その2つを総称して、電磁界と呼ぶ。電界は壁などの障害物で簡単に遮断されるが、磁界になると、壁や建物、それに人体まで簡単に通り抜けてしまう。

 

「華金」という文化が日本人の睡眠の邪魔をしている

 以上、「すぐできる」と銘打って紹介してきましたが、これだけのことを習慣にするには様々なハードルがあります。

特に、「4.午後10時〜午前2時のあいだに眠る」はほぼ実践できている人はいないのではないでしょうか。この時間まで仕事をしている人も多いでしょうし、この時間しか友人との会食や趣味に当てられない人もいます。つまりこれを実践するということは世の中のマイノリティに挑戦するということなので、これはハードルが高い。

更に、仮に信念が強く、実行力のある人で、週の大半は実践できたとしても、日本には「華金」という文化があります。ストレスの強い仕事から開放され、そのままの勢いでハメを外して飲みすぎたり、食べ過ぎたりする。これが1日あるだけで、翌日に「1.午前6時から午前8時30分のあいだに太陽光をあびる」を実行できないのは目に見えてますし、それが影響して午後10時に眠ることは難しいでしょう。なんとか月曜日までに体制を持ち直したとしても、また金曜日には崩れる。

このサイクルを断つためには、もし金曜日に会食を入れるとしても、18時前後など早くから始める。日をまたがないうちに家に到着する。を心がけるだけで睡眠に与える影響は違うかもしれません。華金自体をなくすといよりは、どちらもいいとこ取りできるように試していきたいと思います。(完)

歴史や哲学は「事実」だけではなく「思考プロセス」を学ぶもの(参考書籍:サピエンス全史)

歴史や哲学は挫折しやすいジャンル

先日の大型連休を利用して、普段は余裕がなくて手をつけない「歴史」や「哲学」関係の本を読みました。

そもそも、昔からこのジャンルは好きでしたが、学習して何かを得る(アウトプット目的)、というよりは学習そのものが好奇心が満たされるので好きだ(インプット目的)ということに近い状態でした。

世の中には、同じように感じている人が多いと思っていて、実際に会社の人間にゴールデンウィーク明けに歴史の本を読んだと伝えたところ、「何かに活かせるものではないからあまり読まなんですよね」という返答をもらったり。

最近では、「仕事に活きる○○」という形で、それを解消するための本も多く出版されているかと思いますが、それだけ世の中に「歴史や哲学は仕事に活きない」と思われているという裏返しかと思います。

ならば、趣味として「歴史好き」「哲学好き」でない限り学ぶ必要がないのかというと、そうではなさそうです。

 

歴史や哲学の学習が継続できない3つの壁

 

そもそも、これらの領域は学習を頓挫しやすい領域です。いざ学びを初めて見ると「つまらない」という状態に陥りやすい。ここでいうつまらないというのは「好奇心が維持できない・維持するのが難しい」と言い換えることができますが、それには3つ理由があります。

「答え」が明確ではない

1つ目は、「答え」が明確ではないことが多いからです。例えば、戦国時代の武将同士の争い1つをとってみても、争いの原因や意図、戦略から結果まで複数の解釈をすることができます。これは他の学問と比べると、結局なんなの?という状態に陥りやすい。

理解が難しい

2つ目は、「難しい」からです。歴史や哲学というのは、基本的にストーリーがセットではないと理解することが難しいです。なぜその事実が歴史的に重要なのか、なぜその見解が新しいのか、みたいな観点は時系列的な文脈を理解していないと完全に理解することはできません。しかし、それを時系列として認識するまでに膨大な時間がかかります。

間違ってたりする

3つ目は、学んだことが「間違ってたりする」ことです。地球が丸いことはいまでこそテクノロジーの力で我々現代人からしたら当たり前ですが、数百年前まではどんなに聡明な人間でも丸い、丸くない、みたいな話を大真面目に考えていた。地球は丸くないと言っていた人が言った人、つまり間違ったことを声高に唱えていた人を、僕たちは大真面目に「すごい」と感じることが難しい。

 

これらの要因で挫折したり飽きたりしているのかなぁと思ったわけですが、それぞれに打ち手を打つというよりは、学ぶ意義の考え方を変えるといいのではと感じてます。

 

サピエンス全史を通して考えてみる

 

ここでは、数年前から爆発的に売れている『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』を例に、歴史や哲学を学ぶ意義を考えてみたいと思います。(少しずれますが、サピエンス全史は、久々に「もっと時間がほしい・・!」と心から思える本となりました。1ページ1ページを読み進めるのが楽しみで、どうしても妄想に走ったり、きちんと理解するための振り返りをしたりでめちゃくちゃ読むのに時間がかかってます。※まだ上巻の前半)

 

思考プロセスが見えやすい

この本は基本的に下記のサイクルで進んでいきます(歴史学自体がそうなのかもしれませんが)。

 

A)問いに対するいくつかの仮説

B)現時点で明らかになっている事実とそうではないもの

C)仮説の中での有力だと判断できる考察(思考プロセス)

D)その考察から生まれる疑問・問い → A)に戻る

 

構成自体がそうなっているので読み進めやすいのですが、読者としてはC)の部分で満足してしまうことが多い。「おー、面白いな」「なるほどなぁ、勉強になった」と一旦思考が終わってしまう。しかし、大事なのはそこからどんなことが言えるのか?なぜそんなことになったのか?という疑問に展開されることです。そこをどんどん深ぼっていくことで、また違った視点に繋がっていく、ということで学びの広さが全然違います。

 

例えば、本書では、ホモ・サピエンスが生態系の頂点に等たるするまでのプロセスとして、最初の重大な一歩だったのが、「火」を手なずけたことだと言います。(A)

それは、研究によって、○○年前から明らかに人類が火を使い始めたことがわかっていることから、比較的根拠が明確なこと(B)なんだと思いますが、そこから「火」を使うことでどういた変化があったのかを考察していきます。

それに対する仮説は大きくは主に2つに分けられます。

1)恐ろしい武器と手に入れた:個別の戦いだけではなく、森を焼き払ったりするなど限りなく大きな武器となる

2)調理が可能になった:食料となる対象が圧倒的に増えた、病原菌を殺せるようになった、食事の時間が短くなった

そして、これらの考察がさらに展開していきます。例えば、調理が可能になったことで、人類は「小さな歯」と「短い腸」で事足りるようになりました。この考察だけ聞いても、「そうなんだ!すごい」となるのですが、さらに、これによって人類は「脳が大きくなったのではないか?」という仮説に展開します。

ロジックとしては、人間が体内で消費するエネルギーの中でも、特に「脳みそ」と「腸」がある→「腸」の負担が減ることで「脳みそ」にエネルギーを回せるようになった→脳が巨大化した、ということです。

本当は、そのような疑問や仮説を読者自体がもちながら読み進めることが学びを最大化するポイントだと考えますが、こう考えるんだぜ、という例をどんどん明示してくれる。それが正しいか間違いかではなく、こういうパターンもあるんだぜ、という広がりを見せてくれます。

そして何よりも、筆者や研究者ですら答えが出ているわけではないので、最終的なアウトプット=結論だけ披露するということにはならない。ゆえに、筆者も仮説や思考プロセスを存分に披露するしかない。そのプロセスが大いに学びがあります。

「ここからそう展開するんだ・・」とか、「お、同じような思考プロセスだな」、とかも感じることができるので、読書のレベルも上がっていくような気がします。(もちろん、事実をそのまま列挙しているような教科書的な本はそれに該当しません)

 

歴史や哲学を学ぶ2つの意義

まとめると

1.未知のことに対して「疑問」を持つ姿勢を学ぶ

2.未知のことを考えるプロセスを学ぶ

ことができるのが、歴史や哲学を学ぶ意義なのかと思います。

そして、この姿勢をもって知識が蓄積されていくと冒頭で述べた、はまるまでの障壁も少しずつクリアされていきます。知識が増えれば増えるほど、点が線となり、線がストーリーとなって、面白さが増していくのだと思います。

とはいえ、日常に忙殺されていると、こういった別ジャンルに手をつけるのはなかなかに難しい。個人的には連休や土日には、意識的に触れてみるということをテーマにしてみようと考えています(完)。

 

◆本ブログで紹介した書籍

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福